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東京地方裁判所 昭和28年(行)86号 判決

原告 三町恒久

被告 世田谷区議会 外三名

一、主  文

本件訴は、いずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「一、地方自治法第二百八十一条の二のうち、特別区の区長選任の方法に関する規定、すなわち『特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する』とある部分は、憲法の定めに違反する無効のものであることを、被告四名との関係において確認する。二、東京都知事の同意を得ても、東京都世田谷区長を選任する権限を有しないことを、被告世田谷区議会及び被告東京都知事との関係において確認する。三、東京都知事安井誠一郎の同意のもとに、昭和二十八年九月三十日の東京都世田谷区議会において行われた被告長島壮行の特別区長選任及び同被告の右区長就任は無効であることを、被告四名との関係において確認する。四、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、かつ被告らの主張に対して、大要次のとおり述べた。

一、日本国憲法第九十二条、第九十三条第二項の趣旨に則つて制定された昭和二十三年四月十七日法律第六十七号地方自治法(同年五月三日施行)によつて、特別区の住民は、その長の直接選挙権を与えられていたが、昭和二十七年八月十六日前記憲法の定めに反する法律第三百六号地方自治法中一部改正に関する法律第二百八十一条の二が制定され(同年九月一日施行)、「特別区の区長は、特別区の議会の議員の選挙権を有する者で年令満二十五年以上のものの中から、特別区が都知事の同意を得てこれを選任する。」ものとされ、特別区長の直接公選制は廃止された。

二、しかしながら、右改正法律の規定は、都の特別区のみに適用せられる特別法規であり、従つて憲法第九十五条の「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない。」という規定に従い、特別区の住民投票において、その過半数の同意を得たうえで制定さるべきであつたにもかかわらず、国会は、その手続を経ないでこれを制定した。

三、かように右地方自治法第二百八十一条の二の規定は、その制定手続において既に憲法第九十五条に適合しないのみならず、その規定の内容においても、憲法第十五条及び第九十三条第二項の定めによつて国民と住民とに保障された公務員選定の固有の権利を剥奪するものであつて、右憲法の規定に適合しないものであるから、法律としてなんらの効力を有しない。従つて特別区長の選任権は、依然として日本国民たる住民がこれをもつている。

四、然るに、被告世田谷区議会及び被告安井誠一郎は、特別区長の選任権は自己に属するとして、被告世田谷区議会は昭和二十八年九月開かれた会議において、被告長島壮行を世田谷区長に推薦する旨を決議して、被告安井誠一郎の同意を求め、被告安井誠一郎は同月二十九日これに同意を与え、かくて被告世田谷区議会は更に同月三十日会議を開いて被告長島壮行を世田谷区長に選任する旨の決議を行い、被告長島壮行はその決議に基いて即日世田谷区長に就任した。

五、しかしながら、被告らの準拠した前記改正地方自治法の規定が、前記憲法の条規に反して無効のものである限り、被告世田谷区議会及び被告東京都知事は、地方公共団体の長である世田谷区長の選任については、推薦、同意、選任を行うべきなんらの権限を有しないこと明らかであつて、この権限に属しない事項についてなされた被告らの前記各行為は法律上なんらの効力なく、被告長島壮行は世田谷特別区長たる地位を有しないものといわねばならない。

六、よつて、原告は、日本国民たる世田谷区民として、請求の趣旨記載の判決を求める。

被告らの主張に対する原告の見解はつぎのとおりである。

一、裁判所の法令審査権について

わが裁判所は、一切の法律命令等について、その合憲性を審査し決定する権限をもつ。この点においては、最高裁判所と下級裁判所との間になんら異なるところがない(憲法第七十六条第一項参照)。ところで、本件において、原告は裁判所に対して、単に抽象的な違憲立法の審査を求めるものではなく、被告長島壮行が世田谷特別区長に選任され、これに就任したという具体的な事件に関して、改正地方自治法の規定が違憲であるか否かの審査を求めているのである。従つて本件について、裁判所が右改正規定の合憲性を審査し、決定し得ることはいうまでもなく、これを拒否することは許されない。なお、一旦裁判所によつて、違憲であるという判断が最終的に下されれば、憲法第九十八条によつて、その法律等は無効となり、再び有効となることはない。従つて裁判所が、かかる効力を有する判断を下すには、右判断を判決理由においてでなく、判決主文において宣言しなければならない。

二、民衆訴訟の許否について

被告らは、法律に特別の定めがない限り、いわゆる民衆訴訟を提起することはできないと主張するが、この見解は旧憲法下における考え方であり、新憲法下においては到底これを是認することができない。

すなわち主権在君の旧憲法下においては、臣民の権利は天皇の大権によつて制定される法律によつて保障されたにすぎず、国民が天賦の人権を有することは否定された。従つて臣民の権利として認められた訴権についても、その種類範囲は、大権に基く法律によつて限定され、臣民は法律が許す範囲においてのみ、出訴することができる、とされた。然るに、新憲法においては、主権在民が宣言され、国民は憲法に保障された天賦の基本的人権を有することが明らかにされた。殊に訴権は、天賦の基本的人権として憲法第三十二条に明定され、奪うことのできない権利であるとされたのである。

従つて、訴権は、憲法を以てこれを制定するほかに、立法政策によつてこれを制限することは許されない性質のものである。裁判所法第三条は、右趣旨のもとに、「裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定した。これは、こといやしくも、法律上の争訟、すなわち憲法その他の法規によつて認められた国民の自由と権利に関する争訟である限り、国民は、特に憲法で制限されない以上、権利擁護のため、裁判所に訴を提起することができるのであり、その争訟が、私法上のものであるか公法上のものであるかは問わない、とする趣旨である。すなわち、裁判所法第三条は、一切の争訟と明定して、いわゆる大衆訴訟を広く許容しているのであり、一方憲法もまた、大衆訴訟を禁止していないのである。

もつとも旧憲法下においては、厳格に三権は分立され、司法裁判所には違憲立法の審査権がなく、また旧憲法第六十一条によつて、行政機関の行為については、行政機関である行政裁判所が、内部監督の作用として裁判権を持つていた。従つて、行政裁判所に出訴し得る事項も法律上限定され、国民は法律で認められた訴のほか、大衆訴訟の如き訴を起すことは許されなかつた。

然るに、新憲法は、主権在民を宣言し、国民の総意を至高のものとし、国民を代表する国会を国の最高機関とし、行政権は国民の信託によつて内閣がこれを行うものであるという原理に基いて、国民に対し、一般的に行政に関する監督権を認め、その第十五条第一項によつて、公務員の選定及び罷免の権利を国民の権利とし、その第七十九条第二項によつて最高裁判所裁判官の国民審査制度を設け、更にその第九十九条により国家機関に憲法尊重擁護の義務を、その第十二条により国民に憲法の保障する権利及び自由保持の責任を負わせ、その第九十八条第一項により違法の法律命令等を無効と定め、更にその第八十一条により裁判所に対して、本来の司法権のほかに違憲立法審査権を与えている。

以上の憲法の諸規定からみて、わが新憲法は、国民に対して、憲法の特別規定がない限り、独り自己のためのみならず、国民の自由と権利を保持し、公共の福祉に寄与するために、公共的行政監督の立場から、一般大衆訴訟を起すことを許している、といわなくてはならない。

従つて、これに反する被告らの主張は、全く理由なきものである。

三、憲法第九十五条の問題

被告らは、「地方自治法中の特別区に関する規定は特別区という市町村とは種別の異なる地方公共団体について、市町村とは異なる規律を設けたものであるから、市町村に関する規定と異なるように特別区に関する規定を設けても、その改正については本条の意味の特別法に関する問題は生じない。改正地方自治法第二百八十一条の二について住民の投票による同意を求める必要はない。」と主張する。しかし、本条の主旨とするところは、地方公共団体の平等権の保障にある。すなわち憲法は同次の地方公共団体と考えられるのは同一の法律に従わせ、いやしくもその間に不公平な差別的待遇をしないことを原則としている。従つて特別の事情によつて特別法を制定し一般と異なつた取扱をする場合には、その適用を受ける地方公共団体の住民投票において、その過半数の同意を得なければならない、としたのである。もしかりに、本来同次であるべき地方公共団体のあるものを、別異の名称を以て呼称することにより、種別の異なる地方公共団体であるとし、その住民の同意を得ることなく、特別の法律を制定し、その権能を制限することができるものとすれば、憲法第九十五条は有名無実の条文と化する。そして地方自治法第二百八十三条の規定自体からわかるように、特別区は本来市と同次にあるべき地方公共団体であるから、特別区に関する地方自治法の規定は、普通地方公共団体である市に関する規定に対する特別法と解すべきであつて、その改正には、その適用を受ける特別区の住民投票に附し、その過半数の同意を得ることが必要である。従つてこの手続を経ないで定めた地方自治法の改正法規は、違憲であつて、無効である、といわねばならない。

四、憲法第九十二条、第九十三条第二項の問題

被告世田谷区議会は、「憲法上の地方公共団体は、あらゆる地域的協同体を指すものでない。歴史的にも現実的にも明確な協同体意識の基礎のうえに立つ社会的実体であるかどうかの基準に照らし、この協同体意識の基礎のうえに立つと認められる社会的実体たる協同体のみがこれにあたる。」という。しかし、市町村の発展、膨脹の顕著である今日、明確な協同体意識の有無をもつて、憲法上の地方公共団体であるかどうかを判別する基準とすることは適切ではない。結局憲法第九十二条に基き地方公共団体の組織及び運営に関する事項を定める地方自治法において、地方公共団体と認めているものをもつて、憲法にいう地方公共団体であるとするほかはない。

地方自治法第一条、第一条の二の規定によると、東京都の特別区は、地方公共団体の区分に従い、特別地方公共団体とされているが、やはりひとしく地方公共団体であるとされている。然るに被告らは、憲法にいわゆる地方公共団体の範囲を更に限定して、普遍的または一般的な権能をもつ地方団体だけがこれにあたり、特別区はこれに属しない、などと主張する。しかし、これは憲法上全く理由のない議論である。また実際的にみても、東京都は、その特別区の存する地域だけに限つてみても、単一の基礎的地方公共団体として地方自治の本旨にかなうように自治してゆくには広大に過ぎるし、各地域の色合(地方色)もまた一様でない。

要するに地方自治法上、特別区が処理すべき地方行政事務が存しており、その法定の地方行政事務を処理すべき地方公共団体として特別区が存する以上、憲法第九十三条第二項により、その長たる区長は、住民が直接これを選挙することを必要とし、区議会において間接選挙の方法によつて選出することは、憲法第九十三条第二項に違反するもので、決して許さるべきでない。(立証省略)

被告らは、本案前の答弁として、主文同旨の判決を求め、次のとおりその理由を述べた。(被告世田谷区議会並びに被告長島壮行の答弁)

一、請求の趣旨第一、二項について

原告の本訴請求が具体的な法律関係の紛争に関するものでないことは、明らかである。ところで、わが裁判所は、当事者の具体的権利関係の紛争についてのみ裁判権を有し、単に抽象的に法令が憲法に反するか否かについては裁判権を有しない。従つて原告のこの請求は不適法であつて却下を免れない。

二、同第三項について

原告は、本件世田谷区長の選任及び就任によつて、なんらの自己の具体的権利を侵害されていない。原告自身の憲法によつて保障された区長の直接選挙権が剥奪されたといつて争うことは裁判所法第三条にいう「一切の法律上の争訟」としての具体的権利関係の紛争であるとはいえない。右のような場合をも具体的権利関係の紛争と解するならば、一般に公共的事項は、なんらかの程度で国民個人の利害に関係するから、ことごとく争訟の対象となることになる。しかし、いわゆる争訟とは、かように広義のものではなく、一般的な意味においてではなく、具体的かつ現実的に各個人の権利が侵害された場合を指すのである。要するに、本件訴は、原告個人の具体的権利が侵害されたとして提起されたものではなく、違憲な改正地方自治法に基く被告の世田谷区長の選任及び就任によつて、一般人民ないし区民として原告が有すべき憲法上の諸権利が侵害されたとして、提起されたものである、とみるべきである。然りとすれば、本訴は、行政法規の違法な適用に対して、これを是正するために公共的立場から提起される、いわゆる民衆訴訟の一種であると解するほかはない。ところで、いわゆる民衆訴訟は、その性質上、裁判所法第三条にいう「一切の法律上の争訟」の概念には含まれないから、法令にこれを許容する特別の定めがない限り、これを提起することはできない。然るに現行法上、特別区長の選任及び就任に対して、このような訴を提起することを許容した規定は存しないのであるから、本件訴は不適法として却下を免れない。

(被告東京都知事の答弁)

一、請求の趣旨第一項について

原告の請求は、地方自治法第二百八十一条の二のうち、特別区の区長選任方法に関する規定が、憲法に違反して無効であることの確認を求める、というのであるが、右規定は単に抽象的な事項を定めたものであり、直接具体的な法律関係を規定したものではない。すなわち、原告のこの請求は、具体的な法律関係の紛争に関するものとはいえない。従つて、この部分は、訴の要件を欠き、不適法なものとして、却下されるべきである。

二、同第二項について

原告の請求は、東京都知事の同意を得ても、世田谷区議会は世田谷区長を選任する権限がないことの確認を求める、というのであるが、このような権限の有無は、やはり単なる抽象的な事項であつて、原告について具体的な法律関係の紛争が発生しているわけではないから、原告の請求は、前項と同じく、訴の要件を欠き、不適法なものとして、却下されるべきである。

三、同第三項について

原告は、被告世田谷区議会が被告長島壮行を世田谷区長に選任したこと及び被告長島がこれに就任したことはいずれも無効であることの確認を求める、というのであるが、右選任及び就任ということは、特定の自然人が世田谷区長という行政機関の地位についたというだけのことで、これに伴い、原告自身にとつて具体的な権利侵害や法律関係の紛争が発生しているわけではないから、原告の請求は、不適法なものとして、却下されるべきである。

(被告国の答弁)

一、請求の趣旨第一項について

裁判所は、具体的な法律関係の紛争についてのみ裁判権を有し、抽象的な法令が憲法に違反する無効なものであるか否かを判断する権限は有しない。原告の本訴請求が具体的な法律関係の紛争に関するものではないことは、訴状の記載によつて明らかであるから、本件訴は不適法として却下されるべきである。

つぎに本案について被告世田谷区議会並びに被告長島壮行の訴訟代理人は、「原告の請求第三項はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した。

原告主張の第一、四及び第六の事実(請求の原因の項第一、四、六、に掲げてある事実)は認めるが、その他原告の主張するところは争う。

被告両名の主張はつぎのとおりである。

一、憲法第九十五条について

改正地方自治法第二百八十一条の二は憲法第九十五条に違反するものではない。同条にいう「一の地方公共団体のみに適用される特別法」とは、「一般の地方公共団体のうち、或る特定の地方公共団体にのみ適用する法律」と解すべきである。ところで、東京都における地方公共団体は東京都だけであり、改正地方自治法は、同一種類の地方公共団体のうちの或る特定の地方公共団体について、他の地方公共団体と異なつた取扱をするものではないから、憲法第九十五条にいう特別法にはあたらない。従つて改正地方自治法が東京都の住民投票を経ていないからといつて違憲ではない。

二、憲法第九十三条第二項について

改正地方自治法第二百八十一条の二は憲法第九十三条第二項に違反しない。憲法にいう「地方公共団体」とは、人間社会の発達過程において生じた、社会的事実としての地域的協同団体のうち、歴史的にも、現実的にも明確な協同団体の意識の基礎のうえに立つ社会的実体を指す。すなわち「今日の現実の社会生活において、協同体意識を基礎として、社会的なまとまりをもつている団体と認められるもの」という基準に照らして、「地方公共団体」かどうかは判定される。従つて憲法で地方公共団体というのは、普遍的一般的なそれ自身完結した地方公共団体のことであり、地方自治法にいう「普通地方公共団体」すなわち都道府県及び市町村がこれにあたる。ところで、特別区の住民の区に対する意識は一般に稀薄であり、憲法にいう「地方公共団体」の基準となるべき協同体意識をもつていないとみるのが妥当であり、また歴史的、現実的にみて、特別区はそれ自身完結した地方公共団体とは認めがたい。むしろ都こそ二十三特別区の存する地域を基礎として成立つ基礎的地方公共団体である。従つて、特別区は、憲法が予定する地方公共団体にはあたらない、と解すべきである。

かように、憲法第九十三条第二項の「地方公共団体」に特別区がはいらないものと解するならば、特別区長の直接選挙制を廃する改正地方自治法の規定は、決して憲法に反するものではない。

三、特別区長公選制の廃止は、憲法第十五条に反するものではない。

憲法第十五条は、国民の公務員に対する選定及び罷免の権利を規定しているが、これは公務員はすべて国民の直接選挙によつて選定されねばならないとする趣旨ではない。具体的に個々の公務員が如何にして選定され、或は罷免されるかは、各個の法律によつてこれを定めていいのである。従つて特別区長公選制を廃止し、改正地方自治法の定める間接選挙によつて特別区長を選任することは憲法第十五条に反するものではない。

以上述べたところにより、原告の主張はすべて理由なきことが明らかであるから、その請求は、失当たるを免れない。

このように述べた。(立証省略)

三、理  由

原告の本件訴は、許されるべきか否か、以下この点について、当裁判所の判断を述べる。

まず、わが裁判所は、現行法制のもと、如何なる事項について裁判権を有するであろうか。

三権分立の原則を採用する日本国憲法において、憲法第七十六条が、裁判所に固有の権限として帰属せしめている司法権とは、当事者間に具体的な権利義務の紛争が存する場合に、法を適用実現して、紛争を解決する国家作用をいう、とすべきである。そして新憲法のもとにあつては、右の紛争は、具体的な法律的紛争である限り、公法上の事項たると私法上の事項たるとを問わず、その一切を含むものと解すべきである。裁判所法第三条が「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し」といつているのは、かかるわが憲法上の司法権の意義を具体化し、かつ明確にしたものにほかならない。従つて同条にいう「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務の紛争に関する訴訟、すなわち特定の者の、具体的な権利義務そのものの法律的紛争に関する訴訟をいうのである。

かように、わが裁判所は、特に法律が裁判所の審判権を認めたものは例外として、特定の者の具体的な権利義務そのものの法律上の争訟についてのみ、裁判権を有するものであつて、具体的な権利義務を離れて、抽象的な法律命令等の合憲性について、または特定の者の権利義務そのものでない一般的な国民または住民としての抽象的な権利義務に関する紛争についてまで、裁判権を有するものではない。いわゆる違憲立法審査権も、下級裁判所たると最高裁判所たるとを間わず、当事者間に存する具体的な法律上の争訟を審判するため必要な範囲において、行使せられるに過ぎない。従つて憲法第八十一条の規定も、最高裁判所に特にいわゆる憲法裁判所的性格を併有させる趣旨のものとは解しがたい。

現行法制のもと、わが裁判所に与えられている権限については、大体以上のとおり理解する。

原告は、この点に関し、「主権在民を宣言する新憲法のもとにおいては、訴権は天賦の人権として憲法第三十二条に明定され、憲法を以て制限するほかに、法律によつてこれを制限することはできない。従つて裁判所法第三条にいう『一切の法律上の争訟』とは、憲法その他の法規によつて認められた国民の権利と自由に関する争訟一切を指すものであつて、国民は、かかる争訟である以上、憲法に特別規定がない限り、ひとり自己のためのみならず、国民の自由と権利保持のために、いわゆる一般大衆訴訟を起すことができるのである。」と主張する。しかしながら、憲法第三十二条は司法権の内容範囲を定めたものではない。司法権の内容範囲は別に定まることを前提として、その司法権の権限に属するとされた事項については、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない、と規定したのである。ところで、「法律上の争訟」の意義を原告のように広義に解することは、既に述べた、わが憲法にいう司法権本来の観念に反するのみならず、次に述べる如く、三権独立の建前に鑑みても、また賛同しがたい。すなわち、かかる見解を採るならば、抽象的かつ一般的な公共的事項は、すべて、なんらかの意味において、国民個人の権利と自由に影響しないものはないのであるから、国民は公共的事項に関する限り、なんら具体的な利益をもたなくても、つねに訴を提起し得ることとなる。かくてかかる訴が提起されることによつて、単に抽象的かつ一般的な法令その他の効力を争う事態が頻発し、裁判所は、あたかもすべての国権のうえに位する監督機関たる観を呈し、三権独立して、その間に均衡を保ち、相互に抑制して侵さざる三権分立の憲法上の大原則に背馳するに至るおそれがあるのである。なお、憲法第三十二条の主旨は、さきに述べたように、裁判所の権限として定められている事項について、裁判を受ける権利を保障するにあるのであつて、原告主張の一般大衆訴権を容認したものとは認められない。このように原告の主張は、わが憲法上なんらの根拠なき独自の見解たるに過ぎない。更に原告の前記見解は、具体的な法適用の保障的機能を有するに過ぎぬ純然たる司法裁判所のほかに、憲法裁判所その他如何なる特別裁判所をも認めない現行の司法制度の点からみても、承認することができない。

本件において、原告は、改正地方自治法第二百八十一条の二の規定自体または被告長島壮行が東京都世田谷区特別区長に選任され、これに就任したことによつて、具体的に自己の権利が侵害されたというのではなく、自己を含め、日本国民あるいは世田谷区民たる権利が侵害されたものとして、本件訴訟を提起したものであることは、弁論の全趣旨から明らかである。

ところで、裁判所法第三条の「法律上の争訟」というのは、具体的な権制義務そのものに関する法律的紛争を意味することは、さきに説明したとおりである。本件の如く、単に日本国民または世田谷区民たる権利が侵害されたものとして提起した訴は、たとえ、前述改正地方自治法の施行にともない、原告が、世田谷区民として憲法上保障された特別区長の直接選挙権を奪われたことを理由とするものであつても、単に日本国民あるいは世田谷区民として抽象的に法令の一般的効力の有無を争い、または被告長島壮行の特別区長たる地位の有無の如き一般的な事項を訴訟の審判の対象とする限りにおいては、原告自身の具体的な権利義務そのものを審判の対象とする法律的紛争といえず、国民または住民としての一般的かつ抽象的な権利義務に関する法律的紛争にすぎないと解すべきである。従つて、本件訴訟は、いわゆる「法律上の争訟」には含まれないものといわねばならない(原告が、他の区民とともにもつという、特別区長の直接選挙権の存否そのものを訴訟の対象とすることも許されない、と考える)。

このようにみてくると、結局、本件訴訟は、原告が自己の権利の保護救済を求めるものではなく、単に一般国民あるいは区民としての公共的な行政監督的立場から、日本国憲法に反する改正地方自治法の適用を是正する目的を以て提起したものであつて、性質上は、行政法規の違法な適用を是正するために特に一般人民に出訴権を与えた、いわゆる民衆的訴訟と性格を同じくする訴訟であると解するほかはない。

原告の本件訴が民衆的訴訟の性格を有するものであるとすれば、かかる訴の提起は許されない。なんとなれば、民衆的訴訟は、前述の如く、裁判所法第三条にいう「法律上の争訟」には含まれず、具体的な権利義務に関する紛争の解決を目的とする司法固有の領域には属せず、従つて、選挙その他の行政の公正を確保するために、特に法律を以て出訴を許すことにしたと同じように、特に立法政策的に法律をもつて出訴を許した場合に限つて出訴が認められるとしなければならないにもかかわらず、本件のような訴について出訴を許した法律はないからである。

原告は、「法律に特別の定めなき限り、民衆的訴訟を提起し得ないという見解は、旧憲法下の考え方で、到底首肯することができない。新憲法下においては、憲法に特別規定がない限り、国民は、ひとり自己のためのみならず、公共的行政監督の立場から、一般大衆訴訟を起すことができる。右訴権を立法政策によつて制限することは許されない。」と主張するが、右主張が、わが憲法の建前と相容れない原告独自の見解であつて、採用しがたいことは、既に述べたとおりである。

本件のような訴を許容する趣旨の法律がないことはさきに述べたとおりである。もつとも、特別区の議会の特別区長選任の議決に不服がある場合の出訴については、別に地方自治法施行令第二百九条の八第三項、同法第百十八条第五項の特別規定がある。しかし、これは、特別区長選任議決に加つた者が、議会を相手取つてその選任議決の効力を争う主旨の規定である。原告がこれらの規定によつて本訴を提起したものでないことは、原告の主張によつて明らかである。

要するに、原告の本件訴は、具体的な法律関係についての紛争に関するものではない。またこの点について特に法律上出訴し得る旨の規定もない。いずれにしても、かかる争訟について、わが裁判所は裁判権を有しないから本訴は不適法である。

よつて更にその他の点について判断するまでもなく、原告の本件訴は不適法としてこれを却下すべく、訴訟費用の負担について行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 入山実 粕谷俊治)

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